国旗掲揚いたしましょう3 投稿平成29年8月17日 投稿者:石水 勇
MC委員会 石村重義委員長より国旗掲揚の通達を受けて
お世話になります 8月11日(山の日)我が家で初めて国旗を立てました。
足元は測量ポールで代用です。
五葉松の写真は10歳の時に種をまいた木です、我が家では家内の次に歳をとっています、見かけが良くないですが愛着があります。
枯らさぬ用世話してます。
石水 勇
国旗掲揚いたしましょう 投稿平成29年8月11日 投稿者:大田憲司・山内長則・石村 重義
2017年8月11日 大田憲司
2017年8月11日 山内 長則
2017年8月11日 石村重義
国旗掲揚いたしましょう 投稿平成29年7月25日 投稿者:石村 重義
MC委員会の委員長に初めてなり、一番場違いな私がまずできることは何かと考えたとき 国旗掲揚だけはできると思い 金具を取り付け
準備しました。
7月17日の海の日の朝7時にスマホで写真を撮りましたが送信できません
18日に事務所に来て娘に送信してもらい次に私も送信しました
今年1年間は続けるつもりですので皆さんもご協力お願いします
MC委員会 委員長 石村重義
国民の祝日には国旗を掲げましょう
2017年1月01日(日)
元日
2017年1月02日(月)
振替休日
2017年1月09日(月)
成人の日
2017年2月11日(土)
建国記念の日
2017年3月20日(月)
春分の日
2017年4月29日(土)
昭和の日
2017年5月03日(水)
憲法記念日
2017年5月04日(木)
みどりの日
2017年5月05日(金)
こどもの日
2017年7月17日(月)
海の日
2017年8月11日(金)
山の日
2017年9月18日(月)
敬老の日
2017年9月23日(土)
秋分の日
2017年10月09日(月)
体育の日
2017年11月03日(金)
文化の日
2017年11月23日(木)
勤労感謝の日
2017年12月23日(土)
天皇誕生日
春の叙勲 お祝い 投稿平成29年7月12日 投稿者:山内 長則
瑞宝双光章 鈴木良明 様
旭日双光章 大橋勝英 様
6月14日 クラブ員の仲間でお祝いいたしました。
本当におめでとうございます。
春の叙勲受章のお祝い
伊予土居ライオンズクラブメンバーよりこの度同時に2名の方が、春の叙勲を受章されました。
まず、L鈴木良明さん・・・「瑞宝双光章」行政相談功労
行政相談員として長く務められたことが評価され、受章となりました。現在も行政相談員を続けられています。
次に、L大橋勝英さん・・・「旭日双光章」保健衛生功労
元(社)愛媛県医師会副会長として保健衛生に功労され受章となりました。
このようなおめでたい事はないと、大野会長、河上テーマと私幹事の山内で是非お祝いしましょうという話になり、6月14日委員会の日に別に時間をとり「蔦廼家」さんで開催する運びとなりました。
当日は殆どのメンバーに参集いただき盛大にお祝いが出来ました。
大橋先生からは、叙勲受章の当日のお話や、受章までは受章取り消しにならないようにと、あらゆる違反行為をしないよう気をつけていたことや、鈴木さんからは、受章当日のお話はもちろんのこと、伊予土居ライオンズクラブ事務局への極秘での問い合わせがあったことなど様々なお話が聞けました。
やはり叙勲を受章されるということは、ライオンズの奉仕の精神に通ずるものがあり、世の中のためになることを率先して行動する精神がなくてはならないのだろうと思いました。
お二人は伊予土居ライオンズの鏡であり、私は見習わなければならないことが多くあると感じました。
鈴木さん、大橋先生本当におめでとうございました。
※写真はその祝賀会の様子です。
(山内長則)
ホールインワンコンペ報告 投稿平成29年4月11日 投稿者: 櫛部邦寛
ホールインワンコンペ報告櫛部邦寛
平成28年10月に大津の瀬田ゴルフコースでホールインワンをして、4月1日(土)滝の宮カントリーに於いてホールインワンコンペを行いましたが、その節には世話人の方々のご尽力によりゴルフ同好会の皆さんにも多数の参加を頂きました。これも、辛うじてライオンズクラブに在籍しているからこそ盛大に行えたものと感謝しております。又、特に矢野さんには限られた予算の中でいつもながら見栄えのする賞品を揃えて頂き全て「おんぶにだっこ」持つべきものは友と改めて感謝しております。
ホールインワンをした日に現地から保険の関係で長尾君に連絡した所、その翌日には矢野さんに伝わっていたようです。当然大阪でコンペを行うつもりで「こちらから1組か2組くらい行ってくれそうな人いますかね?」と相談した所、「そんな所まで誰が行くか」、「こっちは、こっちですれば良かろう」との事でした。それに加え、これまで私はホールインワンコンペや、シングルコンペを嫌がる人に「心配しなくても、お金さえ出せば私が全て段取りするから」と無理やりやらせてきた経緯もあり、2カ所になってもやらざるを得ない状況になりました。
保険も40年ほど掛けていますが、どうせ入りもしないのにと思い10年ほど前に2~3ヶ月中断していた時に、太田さんのホールインワンを目のあたりにして、あの大田さんでさえ入るのだから私が入ってもおかしくないと思い、それまで100万円入っていた保険を50万円に減額して再加入しました。
あれから10年・・・・・やっと入ってくれました。
個人情報の問題で誰とは言えませんが、アルバトロスを1回、ホールインワンを2回、その奥さんも2回達成し、保険金を500万円もらった幸運な人もいます。それに比べて、私はゴルフ歴42年で今回初めて50万円の保険金をもらう予定ですが、間違いなく掛け金の方が多いように思います。私の人生概ねこんなところです。
私は現在72歳ですがボールは歳と共に飛ばなくなりましたが、その代わり記憶の方が良く飛ぶようになりました。つい先日もここ滝の宮で3・8会があり、いつものように車を止めてトランクを開けて待っていると、キャディーさんに「櫛部さんクラブないですよ」と言われ、慌てて女房に持ってきてもらった次第です。私はゴルフ歴42年ですが、ゴルフをするのにクラブを忘れてゴルフに行ったのは初めてです。
更に、ホールインワンコンペの2日後に神戸で客先の創立記念コンペがあり、その翌日が式典でした。当日行く時にはゴルフの服装でしたが、スーツなど服装は確りと用意しましたが、いつもの癖でカジュアルシューズを履いて行き、ゴルフ場から帰る時に靴の履き間違えに気付いて、慌てて閉店間際のデパートに駆け込み何とか買う事ができました。式典では来賓席が用意されており参加者から丸見えになる所でしたが、何とか事なきを得ました。
このような事が日常茶飯事に起こるので、仕事の方はなるべく早めに引退しようと思っておりますが、ゴルフだけは80歳を過ぎても現役で頑張りたいと思っていますので、ゴルフ仲間の皆さん末永いお付き合いの程よろしくお願いします。
以上、ホールインワンコンペの報告とさせて頂きます。
ヘアードネーションしました 投稿平成29年1月25日 投稿者: P・Pe
髪の毛を失った子供達に日常の生活を・・・。
ずっとドネーションするために伸ばしてきた髪ですが いざカットするとなるとドキドキ パクパク ワサワサしました。
ドネーションすると決めてからこの数年間美容院には行かず 「パーマ」も「カラーリング」もしていません。
それはドネーションするための制約があるわけではないのですが、
「病気の治療で髪の毛を失った子供たちが使用する」とわかったら、少しでも薬剤を使いたくないと私が勝手に思ったからです。
しかし・・ヘアードネーション用のカットをしてくれる美容師さんは私の近くにはいませんでした。
そこでご無沙汰していたにも関わらず 以前にお世話になっていた美容師さんに電話でお願いすることにしました。
電話の向こうの先生は相変わらず優しい声で対応してくださいました。そして・・・
「P・Pe さん1週間まってくれますか」・・・。とのお返事
その間にヘアードネーションのカットの仕方を勉強してくださっていたのです。
私は美容院に行かなかった間にほんの少しだけ「心の〇〇」になっていたので、それもドキドキ ワサワサの要因だったのかもしれません。
しかし 優しい笑顔で迎えてくれた 先生やスタッフの皆さんのお陰で、なんとか乗り越えられ私にとって居心地の良い空間となっていました。
髪の毛は42センチカットしました。 2日間手元に置き 別れを惜しみながら (笑)送付しました。
・・1人用のウィッグをつくるためにはおよそ20人~30人分の髪の毛が必要です。
・・そして1人用のウィッグをつくるためには1体約100000円の費用が必要です。
私は髪の毛と 少しばかりのお金を寄付しましたが 私一人では1体完成できないことに申しわけない気持ちになっていました。。
とてもとても良い経験ができたと思っていましたが なかなか投稿できなかったのはそんな気持ちからだったかもしれません。。
でも・・私にご賛同いただける方が後20人いたら1体できるのです・・。
1人でも多くの子供たちの日常の笑顔のために
これからはどんどん インスタにもアップしてちゃんとPRしていきたいと思っています。
皆さんどうかよろしくお願いします。
Japan Hair Donation & Charity・・ ←素晴らしいを活動をされています。
モーテルから深夜の電話 投稿平成28年12月14日 投稿者:大橋勝英
開業して間もない頃、33年前だろうか、深夜1時半に向かいの国道11号線の北側東寄りの古いモーテルから電話があった。
「男性のお客さんがひどい腰痛で寝返りもできずうなっている、往診をお願いしたい」という。
男女の営みでぎっくり腰になったに違いないと思った。しかしこの時間、ほんとうに腰痛なのか?何か企みでもあるのではと邪推をめぐらせた。
この深夜にうす気味悪く気が進まなかったが、近いことだし従業員の重篤そうで真剣な話しぶりを信じて行くことにした。
往診かばんに必要なものを入れ一人で歩いていった。従業員が「ささ、こちらへ」と部屋へ案内してくれた。
前後用心しながらついていったが入ってびっくり仰天。30代と思われる男二人がいて、一人はベッドの傍らにパジャマ姿で立っており、もう一人はベッドにうつ伏せになっていた。痛くて寝返りができない、昨日は市内の会社への商用で高松から来たが、どこのホテルも一杯でやむなくここに入った、ベッドが深々としていて端で立とうとしたら腰に激痛が走り動けなくなった、明日は大事な仕事の話がある、なんとかしてほしい、助けてほしいと懇願された。これは嘘ではない。
早速、痛いというところ、椎間関節近くに2本、尻にも強い鎮痛剤の注射をした。鎮痛効果のある座薬も3個渡し使い方の説明もして帰った。大変感謝された。名刺ももらった。立派な会社の社員だった。人助けができたと満足感があった。
後日お礼の手紙が来た。その後うそみたいに痛みが引いていき、仕事もできて助かったとあり寸志まで頂いた。こんなこともあるのだと珍しい体験に感謝した。
2R親睦スポーツ大会 投稿平成27年11月23日 投稿者:神垣 静馬
成就社から石鎚山登山しました 投稿平成27年9月23日 投稿者:大橋 勝英
秋分の日、曇り空の中、成就社から石鎚山登山しました。登りは階段、石段が整備されていますがきつかったですね。石鎚神社山頂小屋に国旗が掲揚されていて感激しました。風が強く棒にすぐ絡み付くので直していると、小屋のスタッフが出てきてお礼をいわれました。
地区年次大会に参加して 投稿平成27年4月1日 投稿者:高橋 哲
第61回地区年次大会徳島大会に参加して
愛媛銀行土居支店高橋哲
私は、平成27年4月11日(土)12日(日)に第61回ライオンズクラブ国際協会336-A第61回地区年次大会徳島大会に参加しました。
4月11日(土)は、地区年次大会記念ゴルフ大会でサンピアゴルフ倶楽部に参加。約160名の参加者がおりました。その中で伊予土居ライオンズにおいて、最高順位は、7位の山内長則さんでした。スコアーは48.36の82という大変すばらしい成績でした。
当日、私は、山内さんとご一緒させていただきましたが、特に午後からのプレーは「凄かった」の一言につきました。午後の出だしの10番ホールはボギースタートでしたがそれからパープレーで回り、最終18番ホール、池越えのホールで第2打をピンそばにっけバーディをとり36のパープレイでフィニッシュされました。本当に素晴らしく、楽しいゴルフでした。その夜は、石村先生の手配のもと、懇親会を開催し、徳島のおいしいものを食べ、飲んで、楽しい時間を皆さんで過ごすことができました。その後徳島ラーメンを堪能しました。
12日(日)は、大会参加前に安藤さん、石川さん、鈴木良明さん、大橋さん、児玉さんと一緒に大塚国際美術館を訪れました。大塚美術館は世界初の陶板名画美術館で圧巻のスケール感と世界の数々の名画が同じ大きさで複製されていることに驚きました。学生の頃の教科書や映像で見るものよりも原画が持っ本来の美術価値を真にあじあうことができました。約2時間程度の滞在時間でしたが、またゆっくりとみたい美術館でした。そして、12時30分より第61回地区年次大会に参加しました。ガバナーの入場、あいさつを見ましたが、大勢のライオンに囲まれ、大変高貴で、重厚でレベルの高い式典であり大変感動しました。四国四県から多くのライオンズクラブがあることも実感できました。
その中で地区ガバナーアワードにおいてたくさんの賞に入賞していた伊予土居ライオンズクラブの凄さを実感しました。
この2日間を通じて336-A地区年次大会のスローガンである「淡野の徳島来て見て食べてみんなで浮かれてみまへんか」の通り楽しい時間を過ごすことができました。また、伊予土居ライオンズの一員として親睦を図りより一層、WeServeを誓った大会参
薬物乱用防止教育認定講師養成講座に参加して 平成27年1月25日 投稿者: 高橋 哲
平成27年1月25日(日)に近藤信行さん、高橋洋一さん、高橋哲は、薬物乱用防止教育認定講師養成講座に参加しました。336-A地区1R・2R・3R合同の開催で受講者99名、地区委員11名、講師6名の総勢112名での開催でした。
講師として、愛媛県警察本部 伊藤氏、愛媛県保健福祉部 望月氏、愛媛県教育委員会 秋本氏、医学博士 万本氏、東京葛飾ライオンズクラブ 舘氏、(財)麻薬覚せい剤乱用防止センター 阿部氏の方々でした。
私は、薬物乱用と聞いて直感するものとして、覚醒剤、大麻、麻薬を思います。どれも、自分の身近にないものばかりと思いました。先日、体調不良で病院に行きましたが、そこで処方された薬の中にもアヘンや、麻薬から作った薬がふくまれていることを初めて知りました。だから、薬も用法、用量を守らないといけないとよく言われますが「一服では効かないから、3服のんじゃえとか、水で服用と書いているにも関わらず、お酒で飲んでしまう。」などしてしまうと、脳に対し働く薬の効用が、2倍3倍にも効きすぎ大変なことになることを知りました。
講義の中で、シンナーについて触れられていました。人間の脳神経細胞は60%~70%が脂肪でできているそうです。シンナーは、元々油分を溶かす作用があります。だから、シンナーを吸うことにより脳が溶けるそうです。薬物依存に陥る人の最初に手を染めるものは、シンナーだそうです。少しの刺激ではものたりなくなり、覚醒剤、大麻といった強い薬物へ移行していくそうです。脳の発達は、20歳まで成長します、だから酒、たばこ、薬物はだめなのです。薬物をすることにより心も身体もめちゃくちゃになり、究極は人に危害を加えたり、家族に迷惑をかけなる事になることがよくわかりました。
講義を通して私達、大人は一人の社会人として、一人の親として、未成年者、子供に対して薬物の恐ろしさを伝えなければならないと思いました。自分の子供だけは大丈夫というきめつけは禁物です。薬物乱用問題は普段から関心を持って対処していき、日頃から家族の話し合いを通じて薬物乱用は「ダメ、ゼッタイ。」の正しい知識を身につけていき私達の身近な地域社会から薬物乱用を許さない社会環境を作っていきたいと思いました。最後になりましたが、講義に参加させていただきありがとうございました。
大変有意義な時間であり、薬物の恐ろしさを知ることができました。
2R新会員オリエンテーションに参加して 投稿平成26年12月1日 投稿者:高橋 哲
第1回ライオンズクラブ国際協会336A地2R新会員オリエンテーション.に参加して
平成26年11月30日に大田憲司さんの引率のもと、宮本潤子さん、高僑哲は新会員オリエンテーション研修会へ参加しました。
また、大野進生さんは、リーダーシップ<指導力育成>研修会に参加されました。
講師として、元地区ガバナー・地区名誉顧問である西原透氏から「ラでオンズとは?」として、“いろは”から教えていただきました。
わたしにとって少年時代で思い起こすと、ライオンズとは、スポーツ少年団などの大会で優勝旗などではみたことがある程度でした。
また、社会人になり、銀行に入行したからでも、ライオンズには一切ご縁がありませんでした。
今回の研修を通してライオンズクラブは、世界最大の社会奉仕団体であり、各自メンバーには義務と権利を有していることを学びました。
また、西原氏の講演の中で私が、一番に心に残った言葉として、「人生は学びの連続、ライオンズクラブはすばらしい仲間」という、言葉
がありました。私も伊予土居ライオンズクラブの一員であることに誇りを持ち、自分にできることで今後も社会奉仕を行い、私自身がライオンズの活動を通して人間としての隔を広げていきたいと思います。
末尾になりましたが、この研修会を受ける前に平成26年11月27に行われました、伊予土居ライオンズクラブの新会員オリエンテーションで鈴木富男さんからの説明、いただきましたレジメ、河上会長を筆頭に諸先輩方からの教えが非常に役立ちました。今後もより一層ご指導ご鞭撻をよろしくお願いします
高橋 哲(愛媛銀行土居支店 支店長)
2R親睦スポーツ大会 投稿平成26年11月27日 投稿者:石川久子
11月23日日曜日 2R親睦スポーツ大会に参加してきました。この日は大安で 親戚の結婚式等で選手応援とも少なく、家族会員(子会員)さんの奥様に選手としてご参加いただきました。
写真を撮ってまいりましたので投稿いたします。
皆様ほんとうにお疲れ様でした。
エボラ出血熱について 投稿平成26年11月4日 26日 投稿者:大橋勝英
エボラ出血熱について
(医)大橋胃腸肛門科外科医院 大橋勝英
現在、人類は致死率の高いエボラ出血熱という疫病の蔓延で深刻な局面を迎えている。感染者の血液、体液、吐物、排泄物などの接触感染で広がり、エイズと同様、同室にいただけによる空気感染はない。
最初の患者は1976年、ザイール(現コンゴ民主共和国)出身の男性で南スーダンで発症。故郷にはエボラ川があったことからエボラウイルスと命名された。過去10回、小規模で局地的かつ散発的発生があった。この度のギニア、シェラレオネ、リビアでの未曾有の大規模発生は制御不能といわれる程の疫病となって拡大している。天然痘、ペストと同じ1類感染症である。
この恐怖のウイルスは体内のたんぱく質を破壊する。肝臓や骨髄、消化管が破壊され上記の症状が出る。
11月16日現在、感染者は8か国で15145人に達し5420人が死亡。致死率36%。地域によっては50~80~90%。 医療関係者は11月中頃で584人が感染し320人が死亡。致死率55%。激しい嘔吐と下痢、血便、出血、高熱を呈する。潜伏期間は最大21日。
現地では感染管理が貧弱で病床や資材、スタッフが絶対的に不足し隔離も困難。地域のコミュニティーで寝かされている患者から感染が拡大している。感染の疑いがある人や、引き取り手が現れづらい感染者の子どもも一緒に隔離されており、院内感染が起こり続けている。
今回の流行の始まり
●2013年12月2日、ギニアの2歳男児が感染、2日に発熱・嘔吐・黒色便等を発症し6日に死亡。エボラウイルスに感染していた食用オオコウモリを食したという。一家はオオコウモリ狩猟に従事していた。食糧不足から貧困層は野生動物の肉を食べる。その後母親が13日に、姉(3歳)が29日、祖母は翌年1月1日に死亡。祖母の葬儀に他の村から数人が訪れ、2人がウイルスを持ち帰り、看病した医療関係者や親族に感染が広がった。その後医療関係者によって2月ごろに近隣の村に拡大した。この時点までは「謎の病気」とされ、2か月もの間、病気の情報が小さな村の中から出ずに放置されていたため、エボラ出血熱だと確認された時には時すでに遅かった。
●大流行の原因としては、衛生環境の悪さに加え「感染者の越境」(越境して隣国の病院を訪れる)のほか、「葬式」が挙げられる。西アフリカ諸国では、遠方の死者の葬式に出席する習慣が一部で定着しており、死者に触れることで血液を介して感染する。火葬にすべきだが土葬が慣習。
●7月、シエラレオネで、100人以上のエボラ感染を治療してきた「国民的英雄」のシーク・ウマル・カーン医師も感染し死亡した。リベリアは学校をすべて休校にした。シエラレオネは非常事態宣言を発令。流行地域の隔離などの対策を講じた。
●リベリアも国家非常事態宣言を発令。WHOは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言。ギニアはシエラレオネとの国境を閉鎖した。ザンビアは流行地域の住民の入国を禁止した。ナイジェリアもギニアも非常事態宣言を発令。国境管理の強化や遺体の移動制限などの対策を発表した。国境なき医師団は「戦争状態だ」と話している。なお11月に入ってセネガル、ナイジェリアは終息宣言をした。
9月、シエラレオネは3日間(9/19~9/21)の外出禁止処置を開始。大規模な戸別訪問が実施され、150人以上の感染者と約70体の遺体が発見された。
エボラ出血熱によって片方もしくは両方の親を亡くし、親族に引き取りを拒否された「孤児」が約3700人いることが判明。家族の絆より感染の恐怖が上回り路上生活を余儀なくされている。
【各機関の認識】
WHOは「これまでで最大規模」「悪化の一途」「制御不能」、国境なき医師団は「戦争状態だ」。【広がる不安】
現地での医師団への不信は高まっている。国境なき医師団がウイルスを持ち込んだというウワサが蔓延している。現地では感染の恐怖から、挨拶をする際に握手をする人がいなくなった。インターネット等では、何の根拠もないウソの噂が広まり、高まる不安からそれを信じる人が増えている。主に患者の体液等、接触して感染するため、医療関係者の感染率が非常に高い。医師不足の中、病院閉鎖や医療関係者のストライキも相次いでいる。
【隔離】
リベリアでは遺族隔離政策が施行され、感染者・死者の家族・親族を隔離するという方法をとっているが、隔離を恐れた遺族は死体を道に捨てて地獄の有様。ギニアでも遺体が路上に放置され、「感染するから触らない方がよい」ということが通説となっている。リベリア政府は8月、首都の5万人が住むスラム街を封鎖し、治安部隊と住民が交戦。住民は石、治安部隊は催涙ガスで応戦し数名の負傷者が出た。シエラレオネでは兵士750名(年8月現在)が感染の恐れのある人を、屋外に出ないよう監視している。感染拡大が著しい「要注意区域」では、医療用テントの出入り時には除染を徹底し、ウイルスを持ち出さない厳戒態勢にある。
【感染者の隠ぺい】
家族が感染しても、家族が「死んだ方がましだ」「死んでほしい」と考える場合もある。病院に行かせない家族もある。また、感染者が発見されれば、その家族は隔離されるため報告しないことは少なくない。
【医療関係者・資金の不足】
WHO事務局長は未曽有の事態を受け、「最も必要なのは人材だ」と強調。WHOは「対応能力以上のペースで感染拡大が進んでいる」と改めて危機感を強めている。
【食糧難】
流行地域では業者が食料を輸入できず、農家も外での作業ができず、食料価格高騰・飢餓状態が続いている。特にリベリアが深刻で、餓死する人の像が懸念されている。価格高騰は特に大きな問題となっている。
最初のエボラ出血熱ウイルス
2002年4月、WHOはガボン北部に生息するニシローランドゴリラの死体からウイルスを発見した。この流行地帯に暮らす貧困層は、ゴリラやチンパンジーなどの野生生物を食用とする習慣があることから、感染したこれら動物も感染ルートの一つとなった可能性がある。 2003年、コンゴ民主共和国でエボラ出血熱が発生した際には、人間への感染284人、死者151人(致死率53%)と同時にゴリラにも多数の感染例が報告され、2002年から2005年の間に約5,500匹ものゴリラが死亡したと報告した。エボラ出血熱による激減および密猟のため、ニシローランドゴリラは最も絶滅危険度の高い絶滅寸前に分類されている。
チンパンジーも100年間に200万頭から20万頭に激減しており同様な運命にある。
海外から帰国の有熱者について 投稿 平成26年11月7日 投稿者:大橋勝英
海外から帰国の有熱者について
(医)大橋胃腸肛門科外科医院 大橋勝英
現在、最大の疫病がエボラ出血熱ですが、そのほかにデング熱やマラリアがあります。ウイルスによる感染症で人間の行動範囲が地球規模となり広がっております。
デング熱は主にシンガポールを含む東南アジア、南アジア、アフリカ、中南米で発生しております。媒介するネッタイシマカとヒトスジシマカは水たまりや空き缶、古タイヤに溜まった水にボウフラがわくので都市部で多く発生します。
マラリアも同様の地域で感染の危険があります。媒介するハマダラカのボウフラは、きれいな水にしか発生しないので都市部での発生は少ないようです。しかし、アフリカは都市部も含め高リスクです。最も症状が強い熱帯熱マラリアは、症状出現後5日以内に治療を始めないと、重篤な症状(脳マラリアによる意識障害や、腎不全)になるとされています。
それぞれの流行地で感染しウイルスを持ち帰ることが今後も続くでしょう。アフリカとの交流や企業活動が日本の6~7倍多い中国ですが(アフリカ進出企業は2000社超ともいわれている)、特にエボラ出血熱では水際作戦、防疫体制が厳重でないと容易に中国国内に入り、発症し、拡散し、やがて観光や活動、人的交流等で日本に入ってくる可能性があります。入国時に発熱していなくても潜伏期間が最長21日とされているので、入国後に症状が出ることを頭に入れておかなければなりません。4~5年前の新型インフルエンザの流行の折り、検疫をすり抜けて(発熱は入国してから)一人二人と発症しあっという間に全国に広まった記憶を呼び起こしてください。
2002年に急性重症呼吸器症候群(SARDS)が中国広東省で広まった際、情報が隠ぺいされたといわれる前科があります。エボラの場合、このようなことのないことを願っています。2012年の中国人観光客は過去最高の142万人でしたが、今年1月から8月においてはすでに154万人と大きく上回っており、もし中国の防疫体制にほころびがあれば日本や韓国のリスクは大きくなるでしょう。
男性50過ぎたらPSA検査を 投稿 平成26年9月13日 投稿者:大橋勝英
男性50過ぎたらPSA検査を
(医)大橋胃腸肛門科外科医院 大橋勝英
前立腺がん特異抗原(PSA)検査は前立腺がんの早期発見につながる鋭敏な検査です。血液検査で済みます。近年、前立腺がんが増えており、中学の同級生、高校の同級生や医師も手術して助かっております。著名人がこの病気で亡くなっている記事もよく目にします。その度、「50歳過ぎてから毎年この検査をしていたら、命を落とすことはなかったろうに」と思うのです。かくいう私も45歳からPSA検査を毎年していましたが、数年前から3.5、4.2、5.4、6.2と年々上昇し、2年前には9.2となり「これはいかん」と生検を受けたところ、12本のうち3本で早期のがんが見つかり、ロボット支援のダビンチ手術で全摘し完治しました。早期発見が大事です。
現在、男性のがんの死亡順位は、断トツの1位が肺がん、2位胃がん、3位大腸がん、4位肝臓がんですが、高齢者が増えるにつれ罹患率では前立腺がんがやがてNo.1になるといわれております。米国では前立がんがNo.1です。特に黒人に多い。PSA値が4~10がグレーゾーンで、組織生検でがんの率が20%~です。4.2という数値でもがん細胞が出たという人がいます。こういう場合はまず早期がんなのでいろいろな治療法があるので、その人に合ったものを選択するといいでしょう。1.8でがんだった有名な人に湾岸戦争のシュワルツコフ将軍(57歳)がいます。偶然の検査で分かったのですが、命拾いした彼は前立腺がんの広報塔として「50過ぎたらPSA」の講演行脚をしております。
奇異な憲法の前文
(医)大橋胃腸肛門科外科医院 大橋勝英
集団的自衛権に始まる憲法の解釈で左翼誌は常軌を逸した反対運動しているが、負担をしたくないというエゴが感じられる。戦争できる国とか、戦闘権、軍国主義の道とか、お門違いの説で国民・県民を洗脳している。否定的キャンペーンを張れば当然内閣支持率は落ちる。落ちるように誘導している。国民は安全保障における現実・真実を知らされていない。井の中の蛙、ミスリードである。
現憲法誕生から70年経ち現実的改憲は必要だ。世界で一番古い憲法は米国(1787年)だが18回、メキシコは211回、インドは98回、ドイツは59回、フランスは24回、スイスは2000年に新憲法を制定したが13年間に26回、ノルウェーは頻回過ぎて数えきれないという。
現憲法は新憲法ではなく化石憲法と揶揄されている。革新派は護憲というが、革新をいうなら改めるべきで、保守派が改憲をいうのとは逆で奇妙な現象だ。
私はまず前文に異を唱える。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した」とある。国家の究極の責務を他国の人々の善意に委ねるという、呑気なことでは国防を全うすることはできない。
わが国の4つの隣国は大ウソをついたり、非と責任は相手国という。中国は領海領空を侵犯し、戦闘の挑発をし、韓国も反日教育を行っている。前文とはほど遠い。
国家の主権と国民の生命・財産を守るべく、世界で最も輸送能力に優れ、安全性の高いオスプライを含め(某メディア・NHKは落ちる落ちると煽っているが)、戦力を充実させ万全を期し、抑止力で平和を守る覚悟が肝要である。戦力で劣る国が不幸な結果を招いていることを世界の紛争の中で学ぶべきである。
【沿革】
愛媛拉致議連は、平成15年3月7日に、大政由美さん、二宮喜一さん、山下綾子さんの3人の愛媛県人の方の拉致疑惑の真相究明を求めるとともに、その救出を支援することを目的として設立。
以後、救う会愛媛や県当局、ご家族と協力しながら、拉致問題を広く県民に知っていただき、関心を喚起するため啓発活動、あるいは、拉致解決を促すための働きかけなど、様々な取組みを行ってきたところ。
平成26年1月現在、会員数は277名で、40人の県議会議員をはじめ、県内10市6町の市町議会の議員237名が名を連ねるなど、着実にネットワークを広げ、賛同者を増やしているところ。
【活動内容 ①普及啓発活動】
具体的な活動は資料にあるとおり。
主な内容は、
○有識者を招いての講演会開催など、正しい知識の普及や情報の収集
○毎月第2土曜日に行っている街頭署名のような草の根運動
など、県民の関心を喚起するためのきっかけづくりや、問題意識を風化させないための地道な普及啓発活動に取り組んでいるところ。
【活動内容 ②解決促進の働きかけ】
拉致問題の解決を促進するための働きかけとして、県議会での意見書の採択などにも取り組んできたところだが、国政に携わる国会議員の先生方に、直接、思いを聞いていただくとともに、お考えを伺う場として、21年度から、意見交換会を開催。
地区年次大会に参加してきました 平成26年4月
東日本、三千㎞の慰問活動 平成25年12月11日 投稿者:森髙康行
「東日本、三千㎞の慰問活動」
森髙康行
発災から二年八ヶ月。九回目の被災地訪問の感想は、〝未だ復興ならず!〟でした。
今回の訪問は、地元いわくら太鼓ろうあ部会鼓龍会を先頭に、福祉 関係者で結団した、〝つながる心の会〟による慰問活動でした。
岩手県陸前高田市の障がい者施設、宮城県南三陸町と東松島市の高齢者施設、そして遠藤音楽教室の子どもたちとの交流等、心の通い合う ひとときを、〝支え合う日本〟をスローガンに、寒い中懸命に拳行して参りました。
愛媛県愛顔の助け合い基金認定事業として、移動手段には大型バスを使用。十七名の旅一座のごとく、太鼓やみかん等の慰問品を用意して出発し、総移動距離二千九百二十二㎞、約三千㎞の慰問活動となりました。
今後、三十年以内に七十%の確率で発災すると言われている南海トラフ大地震への備えを急ぎ、福祉避難所の設置や要援護者対策を早急に取り組む等、緊迫の課題に雄々しくチャレンジして行かねばならないと感じました。
今後も、自助・共助・公助の教訓に学び、皆さんと共に前進して行き たいと思います。
もの忘れ⇒痴呆? 平成25年10月28日 投稿者:櫛部 邦寛
先日、大阪の帝国ホテルで百田尚樹さんの講演があり、客先の専務から誘われ聴きに行ったが、お抱え運転手つきで当社営業所まで迎えに来てくれ恐縮した。当日の午後から大阪出張だったのでスーツを着たつもりで、会社で上着を脱いだら紺ブレと間違っているのに気付き、慌てて女房に持って来てもらって事なきを得た。電車内でいつものように、アイパットを触りながら(このような原稿も車内で作成)書類なども見ていたと思うが、新大阪到着の放送で全てカバンに仕舞ったつもりだったが、営業所に着いてから財布と、アイパットがないのに気付いた。(切符は前もって購入していたので財布には気付かない)
講演後に食事をする事になっていたので、営業所でお金を借り専務に「今日は私に取って仏滅だったのか朝から失敗の連続で、これこれ云々で・・・・・」と話題提供のつもりで話したら、食事代も払ってくれ重ね重ね恐縮した。
アイパットは、他の作業中に座席の横にでも落としたのだろうが、新大阪の忘れ物センターに問い合わせると終点の東京まで行っていたので送り返してもらった。アイパット本体は無くなっても買い直せば良いが、中のデーターは長年蓄積した資料(ノウハウ)の金庫のような物なので、何としても戻って欲しかった。
講師の百田尚樹さんは「海賊と呼ばれた男」の著者で、「2013年本屋大賞」に選ばれ、最近読んだ本で一番感動した。これは、出光石油創業者の物語で、戦争でなにもかもを失い借金だけが残り、そのうえ大手石油会社から仕入れを拒まれ売る油もない状況でも、「社員は家族だ」の理念のもと一人も解雇せず海軍の残油さらいなどでしのぎながら、戦争の火種となった石油を武器に変え世界と闘った男の物語です。
講演は、本の内容を喋っただけだったので既に読んでいる者にとっては新鮮味がなかったが、講師が最後に言いたかった事は昭和20年に敗戦し39年には東京オリンピックを開催し、高速道路や、新幹線といったインフラ整備も整え、戦後たった19年間で世界一貧乏国から世界第二位の経済大国になった。これを支えたのは、我々親世代の大正生まれが中心となって頑張ったお陰だと力説していた。そう言われると全くその通りと痛感した次第でした。
最近痴呆症が進んできたのか電車内だけでも、メガネ、コート、小物入れ等々を忘れ、その都度、宇和島や岡山の忘れものセンターに問い合わせ戻ってきた。財布も羽田空港や大阪のタクシー、スーパーの駐車場、その他でも何度か落としたが全て戻ってきた。最近、人の顔は浮かんでも名前が中々出て来なくなったが、簡単に年の性と片付けられないくらい重症のような気がする。
愛顔つなぐえひめ国体 平成25年9月20日 投稿者:森高康行
〝みきゃん〟がマスコットキャラクターになり、今後四カ年かけて愛媛らしい国体を目指して準備がなされて行くが、地元四国中央市では、フェンシング、ラグビーフットボール、軟式野球、空手道の競技と、綱引きの公開競技の開催が決定している。
県下各地に約二万人の選手・監督と、延べ数万人の観客が来県することとなる。
国体開催に向けて、県外から訪れた人々に愛媛の自然や歴史、文化を紹介したり、大会のボランティアとして参加したり、沿道に花をたくさん植えておもてなしをするなど、多くの関わり方があると思います。
奉仕の精神を持って、しっかり受け入れたいものです。
国際法上 尖閣諸島はわが国の領土 平成25年7月10日 投稿者:大橋勝英
―中国は禁反言の法理(エストッペルの法則)に反しているー
禁反言の法理(エストッペルの法則)
一方の自己の言動(または表示)により他方がその事実を信用し、その事実を前提として行動(地位・利害関係を変更)した他方に対し、それと矛盾した事実を主張することを禁じられている、という法理である。
例えば、格安と思われたマンションを3000万円で買った。「得したなー」と思っていたら1年後に売主が現れて、「あれは余りにも安すぎた。4000万円はする。だからあと500万円追銭くれない?」というのと同じで通用しない。
中国は領有権を放棄したとみなされている
1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約
1953年(昭和28年1月8日の人民日報(中国共産党の中央機関紙)で、「琉球人民の反独占闘争は日本人民の反独占闘争と一体である。米国政府は琉球人民の進路は琉球住民に任せることを認めるべきだ」といっている。
これは琉球人民も日本人民も同じだということを意味している。その中で、琉球群島とは尖閣諸島ほのかの島々であると述べている。正しく記すと「構成する島しょには尖閣諸島が沖縄諸島などとともに含まれる」となる。尖閣が一番目に書かれている。これが公式文書かどうかは定かでなく声が大きい方が強い。公的文書くらいかもしれない。しかし、中国政府が米国政府に要求したことである。国際法的には領有権放棄とみなされる。国際法上は日本は断然強い。
最近、領海侵犯やレーザー照射等で先鋭化した時、「尖閣は米国の国益だから手を出すな」と国務長官が北京へ飛んで行った。しかし領有権は両者で話し合えよと。米国と中国は戦略的互恵の関係にあって、ボーイング社の旅客機千機という商談がある。米国もおいそれとは一方につけない。
偽装難破船
漁船が難破を装って尖閣に座礁させ上陸し、SOSを出して仲間を呼び、小屋を建てヘリポートを作ったらどうなる?座礁の船は非武装の漁船だから日米安保は動かない。また米国には「戦争権限法」があって、本来、大統領の戦争への暴走抑止の法律で、軍隊を出すには議会の承認がいることになっている。今までは「出す、引っ込める」は事後承認だった。武装船や軍隊なら動けるが非武装の漁船となると米国は安保条約では動けない。東シナ海で同じことが2か所でやられているという。
中国の世界地図に尖閣諸島
1960年(昭和35年)、中国で発効された世界地図には沖縄県・尖閣諸島が日本名で書かれている。中国名の魚釣島とはなっていない。
石油埋蔵の可能性
1968年に日本・台湾・韓国の専門家が国連アジア極東経済委員会の下で、鉱物資源調査を実施したところ石油埋蔵の可能性が判明した。
1971年から中国は自国領といい出した
今になっての主張は国際法上は無効
日清戦争で強奪されたとか、明の時代からあったとか昔話を持ち出しては解決しない。1971年はニクソン大統領の突然の中国訪問宣言があった。
1972年5月15日(昭和47年) 沖縄返還
沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された。沖縄返還においても中国は何もいっていない。当時安全保障担当のキッシンジャー補佐官は、「尖閣諸島は日本に返されるべきものだ」と述べ、台湾が尖閣諸島を日本に返還しないよう求めていたのを排し、尖閣諸島を含めた沖縄をアメリカの統治下に置くとした1951年のサンフランシスコ平和条約に触れ、「条約に関して具体的な境界線を宣言したとき、われわれは尖閣諸島を含めたがそれに対し異議は出なかった。その時点で話の決着はついている」と述べ、最終的にニクソン大統領もこの意見を取り入れた。
この議論の10日後の1971年6月17日、日米両政府は沖縄返還協定に調印し、尖閣諸島は沖縄本島などとともに日本に返還された。
1972年9月29日 日中国交正常化
ニクソン訪中の前に(後に問題化)田中角栄首相が訪中し、周恩来首相との共同声明が出され、中華民国(台湾)とは国交断交となった。
(野中広務元官房長官はこの6月3日、「日中国交正常化直後に、 周恩来首相と正常化交渉に当たった田中角栄首相から、沖縄県・尖閣諸島問題の棚上げを日中双方が確認したと聞いた」と中国で述べたが、政府は自民党を離党した一個人の話だとして、領土問題は存在しない旨政府見解を示した。岸田外相は外交記録がなく棚上げ合意を否定。歴史的にも国際法的にも日本固有の領土だと強調。)
日中平和友好平和条約
1978年8月、鄧小平の時代、福田赳夫政権の下で調印された。基本的に日中共同声明の文面を踏襲したものとなっている。主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉が記述されているのが特徴。中国側は賠償金請求を放棄する代わりに、日本側からODA等の巨額な経済援助を引き出した。
2010年 中国漁船による巡視船体当たり事件
時の菅総理はわが国の法に則って起訴せず強制送還した。これによって尖閣諸島に領土問題があることを世界に示す愚を犯した。
2013年5月6日 米「国際法に反する」
米国国防省は「中国が尖閣諸島周辺に一方的に独自に設定した領海基線は国際法に合致しない」と、法的に問題があると指摘。中国は「国際法に合致」と反論。
この6月7日・8日のオバマ・習の米中首脳会談の2~3日して、中国政府は「日本は挑発行為をやめよ」といった。ウソを世界に広める信義なき付き合いにくい国である。
6月7日?前後にベトナムで大規模な反中デモの某TVニュースの見出しがあったが、少なくとも愛媛新聞は伝えなかった。しかし中国政府を利する一部の組織的に扇動された反日デモは執拗にしっかり報道する。現地の受け止め方はそれと違うようだ。中国政府の新聞かと疑う。
付記
中国船の5つのドラゴン
1、漁政:漁業監視船 2、海監:海洋監視船 3、海関:海上での関税業務
4、海巡:海の交通整理 5、海警:海の警察(武装している) それに海軍
武装した海警は出ていない。漁政は漁船がいないにも拘わらず出動している。協定から自国の漁船の監視のための船のはず。
これがマダニ!
平成15年の新居浜市医師会報10月号に私が投稿した記事です。
87歳の老婆が2週間にもなるが右のふくらはぎが痛い、イボができているといって来院した。見るとふくらはぎが広範囲に赤く腫れていて、中心にスイカの種を大きくしたような黒いイボが逆立ちしたようにあります。ちぎれかけのイボの付け根が化膿しているのかと、えいやっとつまみ取りました。膿盆にぽいと入れてふとみると何やら少し動いているような…。手足がある!虫めがねで見ると生き物です。家族とナースは気味悪さに悲鳴をあげ震えあがりました。これは何でしょう。肉片をくわえたままです。肉片ごとつまみとったようです。ダニにしては大きい。中山先生(中山皮膚科クリニック)何でしょう。こうなる前に庭の草取りをしたそうです。
さて小さな容器に入れ、窒息しないように一晩ガーゼで覆っていましたが、翌日見ると肉片を置いてすき間から逃げたのかいなくなっていました。診察台周辺のどこかに潜っているのだろうと皆で探しましたが発見できませんでした。今頃はミイラか。惜しい!
中山先生からのご返事
「マダニ」の虫刺症が考えられる。マダニは刺し口が皮膚(真皮)内に残ることが多いので、一般的には中体を引っ張らず局所麻酔下で切除する。
日本ではヤマトマダニ・タネガタマダニ・シュルツマダニなど5種類のマダニが報告されている。ヤマトマダニは本州全域に、タネガタマダニは本州と北海道に、シュルツマダニは中部地方以北に認められる。これらは動物寄生が主でヒトを咬むのは偶発的なことが多い。山野や高原で刺される例が多く5~8月の夏期に多発する。高齢者に多く女子にやや多い傾向がある。
寄生数日後にスイカの種のような虫体の刺咬部を中心に、発赤、浸潤、浮腫性紅斑が生じる。虫体は黒褐色、灰白色系のほくろ、またはスイカの種のような形で、成虫の大きさは通常数ミリ~1センチである。吸血すると大きくなり2倍近くになった例もある。
合併症がなければ経過・予後は良好。刺された時はむしり取らずに医療施設で虫体の完全摘出を行うのがよい。
塞は砦を意味し、「塞翁」は防御のために設けられた砦に住む老人を指す。塞翁が飼っていた馬が逃げてしまうが、後日、その逃げた馬が峻馬(しゅんめ)を連れて帰ってくる。その峻馬に息子が乗っていたところ、馬から落ちて骨折をする。隣国との戦争が起こって周辺の若者は徴集されて戦争に駆り出されるが、塞翁の息子は骨折していたため出征を免れる。出征した若者のほとんどは戦死してしまうけど、塞翁の息子は命を永らえることが出来た、というよく知られた故事である。
幸と不幸は紙一重の差であり、「禍福は糾(あざな)える縄の如し」、「禍転じて福と為す」といった言葉も類似の事を指すと思われる。不幸が続くといいながら、くよくよするばかりでは発展せず、現状を受入れ、その上で、努力を続けていくことによって以後の展望が開けるものと思われる。
成語林「故事ことわざ慣用句」から
人生において禍福が定まり難いことのたとえ。人生の禍福、幸不幸は定まりなく変わりやすいので、いたずらに喜んだり悲しんだりすべきではないということ。
「淮南子(えなんじ)」人間訓(じんかんくん)から
国境の塞(とりで)近くに、占いの巧みな老人が済んでいた。飼っていた馬が胡の国へと逃げてしまったので人々が見舞いに行くと、老人は「これは幸いの基になるだろう」と言う。はたして、数カ月後その馬は胡国の峻馬を連れて戻ってきた。人々がお祝をいうと、今度は「これは不幸の基になるはずだ」と言う。老人の家にはよい馬がたくさんいたが、その子が騎馬を好み、落馬して足を折ってしまった。人々が見舞うと、「これは幸いの基になるだろう」と言う。さて、1年後、胡国の軍隊が攻め込んできた。若者たちは弓矢で防戦したが、10人中9人が死んでしまった。しかし、その子は足が不自由だったため、戦わずにすみ、親子ともども無事であった。
「類」
禍福は糾える縄の如し。吉凶は糾える縄の如し。一生は糾える縄の如し。禍は福の倚(よ)る所、福は災いの伏する所。
TPPの最大の懸念―ISD条項― 平成24年9月21日 投稿者:(医)大橋胃腸肛門科外科医院 大橋勝英
昨年9月16日、小宮山厚労相は米国通商代表部の「医薬品アクセス拡大のためTPP貿易目標」を入手した。米国のねらいは、自国の優位にある製薬大手の薬を高く売り込み輸出を増やすことにある。米韓の自由貿易協定(FTA)は今年1月に発効した。米製薬会社が「薬が安すぎる」と不服がある場合、独立機関に見直しを求めることで価格決定に係われることになっている。日本の薬価公定価格も同様になろう。薬が高くなることで公的医療保険財政がさらに逼迫し、皆保険制度が維持できなることは目に見えている。
怖いのはISD条項(国家と投資家との間の紛争解決手続き)で、現地国のルールで投資家の利益が害された場合、投資家は当該国でなく「国際仲裁機関」に訴えることができる。その国の法律や規則の背景は考慮されず、投資家が被った損害のみが重要視されそれは24項目にも及ぶ。米国の保険会社は国民皆保険制度や公的薬価制度を廃止するために日本政府を訴えることができる。
国際投資紛争解決裁判所は非公開で抗告はできない。自由貿易に則っているかどうかだけを判断し日本の法律や規則は通用しない。日本政府が負ければ賠償金を払うか制度を変えなければならない。カナダ・メキシコでは違う分野でこの問題が生じ米国に賠償金を払っている。国民の安全、健康、福祉、環境を自国の法律で決められなくなる。治外法権なのである。
TPPへの参加によって市場原理主義が進み、日本の医療が営利産業化する危険性は高い。受けられる医療の質に患者の経済力による格差が生じ、世界に冠たる、また、まねのできない宝でもある国民皆保険制度は終焉に向かうのではないか。
業界紙全国版に載りました 平成24年7月6日 投稿者:櫛部邦寛
業界紙全国版の空調タイムスに当社の記事が載りました
ラブリバー推進協議会20周年にあたって 平成24年5月10日 投稿者:相馬紀夫
この度はラブリバー推進協議会20周年に当たり、本来ならば私が、クラブ員の皆さんを慰労すべき所、逆に皆さんより、祝賀会を先日(24. 4.17)開催して頂き本当に有り難う御座いました。思い起こせば20年間はあっという間でした。動機は関川の土手で花見をしながら一献傾けたいとの次元の低い話が、発端です。たまたまライオンズクラブの会長が廻って参りましたので、会長スローガンを「地に緑、心豊かに、ウィサーブ」と致しました。何も準備をせずにスローガンに従い走り出しましたら、直ぐに河川に植樹の難しさに突き当たりました。その時クラブ員の森高県議が、「ラブリバー制度」なる者を持って来られ、早速この制度で障壁を乗り越えようと組織作りが始まりました。町内の各種ボランティア団体・河川管理者・地元行政(土居町)との協議が重ねられ、平成5年2月13日に「土居町ラブリバー推進協議会」として発足致しました。毎月のゴミ拾い、堤防の草刈り、植樹と活動は次第に軌道に乗って参りました。その後クラブ員の協力を始として、町内の各種の団体の方々の浄財を頂きラブリバー基金も設立できました。20年を経過し、「ふる里広場」はサッカー・ゲイトボール・ペタンク・野球・花見・盆踊り・秋祭りと市民の皆さんより愛される広場になりました。
ライオンズの会員各位の支えがあってここまで出来ました有り難う御座います。今後も更にきれいな河原にして行きたいとおもいます。それには是非とも若い人達にお願いしたいと思っております。
エス」を楽しんでする切手・チャド共和国2000年発行)
そこで日本の近隣国の将棋を切手で紹介しますと、韓国では1985年に発行された風俗切手の中に木陰で「朝鮮将棋・チヤンギ」を指している切手を見つける事が出来ます。そして北朝鮮からは2004年に発 行された切手は知能ゲームとして
チヤンギの将棋盤と駒をタブ付きで見ることが出来ます。
切手はないのですが、台湾からは1994年4種の郷土生活を表した中に椅子に座って「支那象棋・シヤンチイ」を指している切手が発行されています。香港からは2004年に児童切手・おもちゃとゲームの中に漫画風に支那象棋を楽しんでいる切手を見つけること が出来、2000年にマカオか東西将棋として支那象棋の盤と駒を見ることが出来ます。 残念ながらChina・支那本国の切手には将棋を見つける事は出来ませんでした。所で「チェス」・「朝鮮将棋・チヤンギ」・「支那象棋・シヤンチイ」何れも日本将棋以外のものは駒の再利用を認めず「駒は全て取り捨て」のルールがあり、「戦争ゲーム」です。最後に日本ですが、1994年(平成6年)に国際文通週間に発行された切手「士女遊楽屏風」の六曲一双の右隻から取った3種の遊びの中に将棋を指し
ている士女を 見ることが出来ます。ついでに将棋ごまのふる里天童郵便局の風景印を示します。因みに日本将棋 の駒は「玉」「金」「銀」は銀金玉という珍宝を意味し、「桂」は肉柱シナモンで、「香」は江南からの香料と何れも宝物を表しており、それらを取り合うゲーム・「マネーゲーム」が日本の将棋です。
ワールドカップで、なでしこジャパンの活躍ぶりは今思い出しても感動する。
延長戦終了3分前に、宮間のコーナーキックに澤が飛び出し蹴ったと言うよりも、伸ばした右足にボールが当り見事にゴールしPK戦になった。その直前タイムアウトの時、宮間が澤に「ニアに蹴る」と言ったそうだ。
なでしこの大半は、恵まれない環境の中でバイトしながら睡眠時間も犠牲にし、練習に練習を重ね世界の頂点に立った。
ある大学教授が「この姿は日本の中小企業の生き様に似ている」と言っている。
乏しい資金に少ない人員で、圧倒的に不利な状況から粘って、粘って持ち堪えている。
それは、中国との価格競争が典型的な例で、「この値段でやれないなら中国に注文するぞ」と脅され仕方なく引き受け、材料代は勿論、工賃までも減らし電気代から消耗品に至るまで節約し、辛うじて採算ラインにこぎつける(同点引き分けに持ち込む)。
日本の中小企業は良質なものを作り世界に貢献しているが、大きな儲けもできず、慎ましい暮らしをしながら道具には金をかけ、手入れを怠らず日々工夫を重ねている。我々ダクト業界も同様で、元請けから「この値段で出来ないなら、やるところはいくらでもある」と言われ、値上げ交渉の余地など全く無い。あるのは、断る選択肢だけだ。
バブル崩壊から、リーマンショックと大変厳しい環境下で「何事もやればできる」と、「この世にダクトがある限り、ダクト屋も存在する」をモットーに、「VE」(バリュウ、エンジニアリング=機能を落とさずコストを下げる)と、「気力・根性」で持ち堪えて来た。だが、政府の東日本大震災から原発事故の後手、後手対応などを見ていると、「気力」の限界を感じていた。だが、今回のなでしこジャパンを見て「何事も最後の最後まで、諦めなければやれる」という「気力」をもらった。
先日のテレビ番組「報道2001」で、石原都知事が「苦しい時は私の背中を見なさい」と澤が言ったという。
そして、「都民栄誉賞」の表彰式でも澤選手に「あんた総理大臣やんなさいよ!」と言っていた。
現在民主党の代表戦が行われているが、「帯に短し、たすきにも短い」候補者ばかりで、難問山積の国難に対して澤選手のようなリーダーシップを持った政治家の出現に期待したい。
「石原都知事あんたがやったらどうですかね」
『 目覚めはムクドリとともに』 平成23年7月11日 投稿者:大橋勝英
昼食をとっていると家内が「2階の寝室の電動シャッターが上がらない
、上を見るとシャッターと収納ボックスの隙間から、ものすごい量のわらのようなものがびっしり垂れ下がっていて、下の床にも散乱している、シャッターに絡んで動かないみたい」と血相を変えて降りてきた。
わけがわからず飛んで上がるとなるほどいう通りだった。
わらの大きさから見てスズメではないやや力のある鳥が巣を作っているらしい。
シャッターは閉じたままにして様子を見ることにした。
しかしどこから入ったのかがわからない。外から見たところ入口は特定できない。
数日後の朝、チチチというかわいい雛の鳴き声が聞こえだした。
日ごとに数が増えていく。1~2分おきに親鳥がせっせと餌を運んでいるみたいだ。
鳴き声も日増しに大きくなっていく。5~6羽だろうか。
この頃、ツバメもスズメも巣立ちしていて、あたりは幼鳥と親鳥の鳴き声でにぎやかだ。一体どんな鳥なのだろう。
朝6時半頃、NHKの「とれたてマイビデオ」がある。
ある日、巣立ちして庭の小枝にとまっているモズの子が、
羽毛を立てて毬のように丸くしてかわいい姿で親鳥から餌をもらっているシーンが紹介された。
その時、親鳥の「グェグェ」とか文字で表わせない鳴き声がした。
すると、枕の上2.5メートルの巣の雛が一斉に反応した。
「これはモズの子か?声も似ている」。確かめたくなった。
6月18日の雨天の昼、カメラに望遠レンズをつけ、15メートルほど離れた庭の隅から撮影チャンスをうかがった。
傘を左手に持ち右手だけで撮影するためどうしてもぶれる。
ほどなく親が緑色のイモムシをくわえて、軒下とシャッター収納ボックスの隙間のところにとまり、あたりをうかがってすっと中に消えた。
ああ、あそこが入口だったのか
20~30秒後に白いものをくわえてさっと飛んでいった。
くわえていたのは雛の糞だ
巣の下のベランダには糞はない。この鳥は巣の中や外を汚さない習性があるのだろう。外へ運んで畑の肥料に供している。それにしても1日中相当数のイモムシか何かをせっせと運んでいる。
よくもまあ毎日、一体どこにそんなに餌があるというのだ。不思議でならない。
現像して百科事典で調べるとムクドリ。
平地から低山にかけての林にすみ、市街や村落でよく見かける黒っぽいツグミ大の鳥。長めの足や口ばしの色は黄橙色。写真で見ると確かに橙色。日本では全土で繁殖する。繁殖期以外は群生し、エノキ、ムク、ミズキ、ハゼなどの実、昆虫、クモなどを食う。ネキリムシ、ヨトウムシ、ハムシ、ズイムシ、イナゴなど多数捕食するので益鳥。木の穴、石垣や屋根のすき間などに枯れ草、落ち葉、馬の毛、樹皮などで巣を作り、4~7月に青緑色の卵を4~9個生む。
日がたつにつれ雛の声が大きくなってきた。何とも形容しがたいギャーギャー、ゲゲゲといった感じ。親鳥が帰ってくるとひときわ大きく鳴き騒ぐ。これが朝の4時半からとくるからたまらない。
目が覚める。雨の日とて同じだ。寝不足になりいつもより1時間半早く床につくようにし、2日に1回、睡眠薬を飲む。雛は親鳥が出ていっても鳴き続けている。いないときぐらいはツバメのように黙っといてよ。夜もときおりグジュグジュと鳴いている。天気がいい日は朝日がシャッターに当たり、手を当てるとかなり熱く数秒も当てておられない。幸い上部はひさしで陰になるためそんなに熱くない。熱中症はなかろうとまず安堵。
6月25日、ひときわ大きな声で鳴くパワフルな雛1羽が巣立った。後に残ったのは声がか細かった2羽でそれも30日に巣立ちやっと静かになった。やれやれ。この間、前述のわらが垂れ下がって、密度にむらのあるすき間から2羽が落ちて死んだ。
未明のノイジーな雛の声に参っていたのでほっとしていたところ、あれ?親鳥なのかボックスの中でだまってカサコソと何やらしている音がする
。中で歩くと金属板の上のためカシャカシャと爪が当たる音がする。もう一度卵を産んで2回目の営巣ですか?あのおびただしいわらみたいなもの、どうすりゃいいのだろう。のちのちボックスを分解して掃除しなければならないような。かんべんしてもらいたい。
入会前もライオンズクラブの存在は認識していましたが、具体的な活動については十分に理解していない状況でした。
実際に入会してみると「リジョン」「ガバナー」など慣れない言葉もあり、当初は戸惑いもありましたが、例会等への参加を重ねることによりクラブの目的や活動の意義を理解できるようになりました。
清掃活動をはじめ多様な活動を通じたクラブの地域社会への貢献度は高く、これまで活動を継続されてきた諸先輩に深い敬意を感じています。
また、伊予土居ライオンズクラブはチームワークがすばらしく、
熱心な活動は他のクラブに負けないものと思っています。
私の勤務する職場においても「地域の発展のために、いかに貢献するか」が最重要課題であり、
目指すところはクラブと同様なものがあります。
「おかげさまで」という感謝の気持ちで、今後より一層「われわれは奉仕する」
という使命の一翼を担えるよう頑張っていきたいと考えていますト
『 バレンタインデーについて』 平成23年2月16日 投稿者:大橋勝英
キリスト教の聖人、バレンタインにちなんだイベント。欧米では愛を告白したり、恋人同士がプレゼントを贈り合う日、男女の愛の誓いの日とされる。
由来
紀元269年、ローマ帝国は愛する恋人を故郷に残した兵士がいると士気が低下するとして、ローマでの兵士の結婚を禁止したといわれている。キリスト教の司祭だったバレンタインが秘密に兵士を結婚させたことで捕えられ処刑されたとされる。バレンタインの殉教。処刑の日は2月14日が全ての神の女神、家庭と結婚の女神である「ユノ」の祝日が選ばれた。この日がキリスト教徒にとって祭日となり、恋人たちの日となった。しかし、カトリック教会は史実の上で実在が明らかでないとして、バレンタインの信ぴょう性に疑問を持ち、公式には祝日になっていないという。
欧米では
男性も女性も花やケーキ、カードなど、恋人や意中の人や友人や親しい人に贈ることがある日。バレンタインが投獄されたときに、牢獄の窓口に咲いたスミレの花のハート型の葉を、「私を忘れないで下さい」というメッセージと共に鳩に託したとの伝説から、ヨーロッパでは、パンジーはバレンタインに恋人に贈る花となった。愛の花・恋の花といわれている。
ベトナムでは
男性が女性に尽くす日となっている。
韓国では
女性から男性に贈る。バレンタインデーにチョコを贈られなかった男性は4月14日にジャージャー麺を食べるブラックデーがある。
サウジアラビア
アラーを崇拝する国なので偶像崇拝のキリスト教の祝祭を禁止しているが、庶民はバレンタインデーを行っている。しかし、2009年2月、完全懲悪委員会の委員を務める○○王子が「禁を破れば死刑もありうる」と発言しているように違法で全面禁止となっている。
日本の特徴
1、チョコレートが重視される
2、女性から男性へ一方通行的贈答
3、女性の愛情表明の機会としてとらえられている
4、職場における贈答習慣が強い
5、キリスト教徒との意識的な関連性はほとんどない
6、3月14日のお返しのホワイトデーがある
7、4月14日のオレンジデーがあるが、柑橘農家の思惑にて浸透していない。
8、逆チョコ、友チョコ、自分チョコ、義理チョコ(衰退の傾向)などある
チョコレート
今から50~60年前にイギリスから発生。日本では約40年前に定着。日本のチョコレートの年間消費量の2割がこの日に消費されるからすさまじい。
チョコレートの効用
原料はカカオ。ポリフェノールやミネラル、ビタミンが多く含まれ、動脈硬化を抑え血液の循環を良くする。また細胞の構成に必要な亜鉛も多く含まれ、酵素の働きがよくなり、傷の回復を促進するほか、免疫力を高めて細菌感染やインフルエンザの予防にも役立つ(NK細胞の活性化)。広範囲のやけどの回復にもいい。また、ドーパミンという気分を良くする物質が脳から出て、不安を抑え、ストレスを緩和させ効果もある。砂糖やミルクの多すぎないチョコを上手に食べるのがよろしい。
『 太宰府天満宮に行ってきました』平成22年12月16日 投稿者:鈴木良明
道真公と牛車の牛、お墓の位置、放牧牛、盛り塩、千客万来等の関係を整理しました。
・太宰府天満宮
菅原道真公の御遺骸を乗せた牛車は、北へ進みます。まもなくその牛が伏して動かなくなりました。
これは、道真公の御心によるものであろうと、此処をお墓の場所と決めました。
後に、その上に社を建てました。これが、現在の「大宰府天満宮」です。
・では何故、牛車を引いた牛は、そこで止まったのか?
動物にとっては、塩は生きるための必須の成分です。
放牧地の牛を集めるときには、塩を使います。(いとも簡単とか)
(陰の声)
予め、お墓の場所を決めていて、その場所に“塩”を置いておいた。そこが、牛の止まったところ。
・盛り塩の効果
盛り塩は、玄関にします。玄関は、幸運の入り口です。マイナスエネルギーと厄を祓い、家全体に幸運が入ります。
(陰の声)
千客万来を祈念します。(人と牛を一緒にしてはいけませんが)
上記の陰の声は、あくまで陰の声です。
『 臓器移植と切手 』 平成22年11月25日 投稿者:相馬紀夫
たまたま8月の環境保全・社会福祉委員会の席上で石村委員長から
現在臓器移植が話題になっている時にアイバンクを担当するこの委員会で、臓器移植の卓話を誰かしてはとの意見がでた。
仕事柄何か話をしなければと考えたが実際の所余り関心がなかった。
しかし何時も切手の話で恐縮であるが、臓器移植の切手が数々発行されていることを思いつき、少し話を書いてみることにしました。
歴史
1960年(昭和35)年代頃より臓器移植は内外で始まった。
1967年(昭和42年) 人から人への心臓移植は南アフリカでクリスチャン・バーナード医師によってなされた。その際に執刀した医師が、「この移植には人に一番近い形をしたものを使った」と発言したため、「黒人の人権を認めない南アフリカ出来た非人道的な殺人手術」世界から批判された。
1968年(昭和43年)日本で初めての心臓移植が札幌医科大学で行われたが、レシピエント(提供を受ける患者)が移植の適応があったのか、ドナー(提供者)の脳死の判定に疑問が掛けられ、“和田心臓移植事件”と言われた物議を醸し出した。この問題を切っ掛けにわが国の移植は遅滞し、50年後の現在海外に遅れを取らざるを得なかった。今でも臓器移植は先進医療(厚労大臣が定める高度な医療技術を用いた療養)の中に入っている。
現在どの臓器が移植の対象となっているかと云いますと、
2008(平成20)先ず、「腎臓」です。これは慢性腎不全になり、透析を受けている患者さんが対象です。国内で移植を受けた件数は年で、1201例あり、生体腎移植が991例(82.5%)脳死下腎移植26例であった。現在11,814名の透析患者が待機している状況であります。次に「肝臓」ですが、肝細胞癌32%、肝細胞性肝硬変26%、胆汁うっ滞性肝硬変23%、急性肝不全が12%、その他が7%でした。「心臓」は心筋症などの内科的に反応しない患者に行われ、2008(平成20)年に11例、2009(平成21)年は7例との事です。
「肺臓」は2008年に肺移植が開始され、66例の生体肺移植と39例の脳死肺移植が行われた。対象となる疾患は肺リンパ脈菅筋腫症、肺高血圧症、突発性肺線維症、慢性肺気腫などです。
また「膵臓・膵島」Ⅰ型糖尿病患者で、血糖コントロールが困難例を対象に膵臓腎臓同時移植が2000(平成12)年~2008(平成20)年までに生体膵臓移植15例、心停止下2例、脳死下移植52例行われている。「小腸」は1996(平成8)年~ 2008(平成20)までに脳死3例を含む14例なされている。
2006年(平成18)万波医師の病的腎臓移植発覚「腎臓提供は公平に行わなければ成らない」という原則に反する。その他病的腎移植の医学的な不確実性・・・
2008(平成20)年の国際移植学会で、臓器取引、移植商業化、移植ツーリズムを禁止したイスタンブール宣言がなされた。 臓器移植を何時までも外国に頼むのではなく、「自給自足」の時代に入り、
2009(平成21)年 7月にわが国では臓器移植法の改正がなされ、その骨子は①脳死を人の死とは認める。②脳死を人の死と認めるが、本人や家族が臓器提供に関わる法的脳死判定については拒否できる、③臓器提供者の年齢制限撤廃、④本人の生前の意思表示が無い場合は家族の書面による承諾で提供が可能、⑤親族への優先提供の許諾などから成る。この法律は平成22年7月より、施行され、今回初めての例であり、話題を呼んだ。
2010(平成22年)家族承諾で、8月10日・19日・22日・28日・29日、9月5日・7日既に7例の臓器移植がなされている。9月26日で家族承諾は10例を数える。次第に国民の理解が進んでいる。
現在問題となっている虐待児童からの臓器提供を防ぐ体制の整備等問題は有るにせよ、悲しみの中で尊い選択をした家族の善意は大切にしつつ、更なる臓器提供の推進に向けての仕組み作む必要がある。又家族承諾での移植が増えたため、全国で20名のコーデイネーターでは既に限界に達しているとの話も出ている。
又献眼推進運動は広い意味での臓器移植であり、既に日本のライオンズは50年の歴史がある。2008(平成20)年で献眼者が1010人で移植を受けた方は1634人でそうで、未だ待機患者数は2769人おられるとのこと。我々も献眼運動とドナーカードの運動に一層努めなければ成らない