伊予三島ライオンズクラブの誕生

昭和36年(1961)10月18日に伊予三島L.C.が日本で333番目、県下で8番目のL.C.として誕生した。当時伊予三島市には数年前にローターリーC.が結成されたばかりでL.C.は東予では1年前に新居浜L.C.が結成された丈でした。

郷土出身の小倉L.C.(現北九州L.C.)会長L続木繁一が昭和36年夏、当市に来られ、同窓の森川孝夫氏や毛利秀憲氏と会合され発展途上にあった当市にとってL.C.の結成が急務であるとの結論に達し、以来続木会長は九州に帰省されるや早速、当市の有名人はもとより各職種の代表者に対して巻紙に毛筆にて長文でL.C.の解明はもとより種々仔細に互り勧誘状を1回、2回となく発送せられ、此のこんこんたる努力と熱意が各自1人1人の心を動かし伊予三島L.C.の誕生する動機となった。其の後坂出L.C.幹事L元木潔も来島せられ、毛利秀憲、藤田通博、安藤正睦氏らが参画し組織の編成準備に着手、発会日の前日に漸く三島病院の八木田院長を会長に説得し、翌1018日の結成会にこぎつける事が出来た。

結成会は、当時の商工会議所桜上(三島小学校前)にて挙行され来賓として緒方益国ガバナー平田陽一郎デピュティ・ガバナー、篠永市長、森川商工会議所会頭、合田ロータリークラブ会長等をお迎えし、L続木、L元木、L森田(小倉C幹事)を迎え33人の創立メンバーで発足した。役員は会長八木田、第一副会長戸田(寅)、第二副会長安藤(正)、第三副会長服部(慶)、幹事藤田(通)、会計柏木(安)、(愛媛相互)、テーマ大西(元)、テール・ツィスター相引、二年理事永野、有高、一年理事坂田(大)、井上(薫)、窪田等の各氏により編成され例会日を第一、第三木曜日とし、11月の第一木曜日より発会した。

当時日本地区ではL.C.が初めて東京に結成されて(1952.3.5)より9年目であり、県下では8年前(1953.10.5)松山C(結成順5)が四国で初めて、日本で5番目のCとして結成され其の2年後宇和島C12)ができ、次いで八幡浜C24)松山道後C195)新居浜C204)大洲C221)宇和C222)の7Cが出来ており、殆んどが中予南予で、東予では1年前(1940.10.4)に結成された新居浜C204)だけでした。

三島C333)が結成された翌日には西条C334)今治C335)が相次いで誕生し二カ月後の1211日には川之江C363)が結成された。

さてL.C.が結成されたがC.の運営、例会のすすめ方事業其の他仔細についてスポンサーは遠く九州なので思うに任せず、幸い坂出の元木幹事が電話1本にても気軽に何回となく来ていただき、Cの育成運営に親身に及ばぬ御骨折を傾倒していただきC.の運営も軌道にのってきた。L.C.が結成されるとクラブが国際協会の規律を順守して国際協会の一員として権利と義務を与えられるために、結成後3か月以内に認証状を受けるための認証式(チャーターナイト)を挙行せねばならない。之が結成C.の最重要な課題であり、そのためわが三島C.2か月後に発足した川之江C.と連絡協議し両L.C.合同で認証式をすることに決定し、以来両C.会員は半年余にわたり一致協力、一丸となって諸般の準備に努力し昭和37年(19621021日三島小学校体育館にて盛大に合同チャーターナイトを挙行し、三島C.は川之江C.と共に国際協会の一員となる光栄を得たのである。

土居L.C. エクステンション

1975S50年)11.10

伊予三島法皇L.C.(現 四国中央法皇ライオンズクラブ)

1980S55年)11.24

台南名人国際獅子会と国際姉妹提携締結

1989H1年)2.20

秋田山王L.C.と友好クラブ締結

1990H2年)7.1